先日、父の13回忌をした。
その帰り道、伯母が私の実母が今年「50回忌」だったことを思い出してくださった。 私が3歳。 妹が1歳のとき、急性白血病で逝ってしまった母。 私も妹も母の記憶はほとんどない。 お寺に連絡をし、法要をすることにした。 妹と私と伯母たち(母の姉妹)で。 50年・・・そうだよね。 私は母の生きた時間の倍の時間を生きている。 ありがたいことなんだと思う。 毎日、自分の力の足りなさや思うようにならないことに不安になる。 でも、これは、命があるからこそ、実感できることで、そこから喜びを得ることも出来る。 この世に私を生んでくれた母に感謝して、日々を過ごしていきたい。 スポンサーサイト
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先週の金曜日
山梨の施設見学。 環境抜群に見えた場所でもスタッフのつぶやきを聞いているとさまざまな悩みがあるようだ。 そこで、作業療法士の大学の先生がスタッフさんや子どもたちに真摯に向き合っていた。 月に一度のスーパーバイズの時間を大切にしている姿を見せていただき、元気をいただいた。 土曜日 療育の様子を学校の先生が見にいらした。 付き合いが始まって10年を超えるその子が、今まで見せたことがないくらい混乱してしまっていた。 私の見立て不足。 おとなの都合をその子に押し付けてしまった。 学校との相互理解を目指したが、もう少し配慮が必要だった。 反省の一日。 夜、仕事を終え実父の13回忌のため福島に向かった。 真夜中、1時、主人のお母さんは、寝ずに待っていてくれた。 心から感謝。 日曜日 父の13回忌。 久しぶりに会う妹家族。 震災ですべてを流され、必死に頑張っている。 妹のご主人が疲れとストレスで肝臓を患っている。 痩せてしまった・・・。 それでも、妹は「頑張るしかないから・・・」と笑顔を見せた。 月曜日 主人のお母さん、弟さんの優しさに感謝して帰宅。 みんなが幸せに生活出来ますように。 |
ときどき、思う。
とことん子どもたちの話が出来る相手が欲しい。 同じ方向を向いて、教材の話や成長、発達について語り合いたい。 私は、いつも、いい年して夢みたいなことばかり話すバカなのかもしれない。 何のために働くのか・・・。 私は、ありがたいことに自分の生活を支えてくれる家庭がある。 だから、夢みたいなことばかり言っているのかもしれない。 でも、夢を見ないと頑張れない。 名誉や地位が欲しい訳でもなんでもない。 子どもたちが喜んでくれるのが、ただただ嬉しい。 それだけ。 ときどき泣きたくなる。 障がいをもつ子どもたちには、伝わるのに大人に伝わらない。 どちらが、どうかわからなくなる。 子どもたちは、本当にまじめで嘘をつかない。(心の奥底で) 私は、いつも思う。 専門家と言われる人ととことん話をしたい。 明日、山梨に研修に行って来ます。 素敵な出会いがありますように。 |
今日は、久しぶりに自宅で過ごせた。
主人と長男は、朝早くからお出かけ・・・。 ここのところ、ハードな毎日だったため一気に気が緩んでしまって何も手につかない。 午前中は、洗濯のみ。 午後は、カオスになっているリビングの整理・・・。 そんなこんなで夕方・・・。 主人と長男を駅まで迎えに行き帰宅。 長男が友だちと出かけることを知り、主人と買い物に出かけた。 娘に頼まれた浴衣に合う帯を買った。 そして、いつものように100円ショップめぐり。 結局今日も療育の教材探しをしている自分に苦笑い。 買い物をしながら、子どもたちとの療育の様子を思い出す。 先日、ブログめぐりをしていたら、手作りの療育教材を作っている方に出会えた。 木工であたたかくて・・・すてきな教材がたくさん。 今の私には、無理だけどいつか私も糸鋸に挑戦してみたい。 ブログに訪問してくださっている方たちにいつもエネルギーをいただいている。 また明日から忙しいけど、楽しい時間になりますように。 |
私のところに来てくれている子どもたちは、皆研ぎ澄まされた感性をもっている。
私はいつも見透かされているような気持ちになる。 彼らにはおとなの都合やごまかしは通用しない。 こちらのやってほしいことを伝える時は、彼らの心のすべてを受け止める覚悟が必要だと私は思っている。 思ってはいるが、自分はまだまだ力不足であることも自覚している。 毎日、一瞬一瞬がある意味「真剣勝負」でもある。 子どもたちに社会の中でのルールを伝える時は、とても緊張する。 「わかってくれる」そう信じ切らなければ、伝えることが出来ない。 でも、相手が幼かったり、伝えたいことがよそで許されていることだったりすると、せっかく築いて来た関係が崩れてしまうのではないかと不安になる。 その気持ちを子どもたちは、見抜く。 だから、まわりが恐ろしくなるほど「真剣に向き合う」ことにしている。 心の中で「お願いだからわかって!」と叫びながら。 子どもたちには、みんな幸せになってほしい。 私のところに来てくれる子どもたちは、誤解されたり、わかってもらえなかったりして 心に傷を負っている子も少なくない。 小さい頃から環境に恵まれた子たちも勿論いるが、そうでない子の方が多いかもしれない。 とくに、集団に入ってからは。 感受性が豊かだからこそ、彼らは傷つきやすい。 少しでも社会の中で認めてもらえる「自信」を身に着けてほしい。 そのために「一人ひとりにあった環境と学びの場を」と願わずにはいられない。 すみません。 感情的な自分を抑えるのが辛いです。 |
ここのところ、いろいろな教育機関にうかがった。
その中で感じたこと。 「特別支援」とは? 確かに子どもに対しておとなは手厚い。 でも、今、その子が「何を」「どのように」「どのくらい」取り組むのかという情報、手だてがほとんどない。 昨年から訪問している小学校がある。 4月に担任が代わった。 まず、教室が変わった。 「子どもたちにわかりやすく」が伝わってくる。 一人ひとりの子どもたちに対する伝え方も個々に合わせた形になっている。 子どもたちの表情も変わった。 優しく、丁寧に接してもらっているから、安定している。 教師も環境。 環境が良くなれば、子どもたちはしっかりと育つ。 私は、一人の療育者として何が出来るのだろう・・・。 私たちの役割は「子どもが得意なことを見つけて、自信、誇りをもって生きて行くこと」を支援することだと思っている。 そのために、日々、子どもたちと向き合いその子に合った課題を提供すること。 そして、また、そこから次の課題を見つけることだと思う。 それが「成長」につながるのではないかとも思う。 「教育現場」と「療育」 何が違うのか、私にはわからない。 わからないながらも、精一杯、声を上げ、伝え続けるしか 出来ないのかもしれない。 |
ここのところ、娘とよく話す。
夜中の電話だったり、娘のところに行ったり、途中駅だったり。 社会人になって1年。 初めのころは、社会適応できるのかそればかりが心配だった。 就活のときに、面接で「自信の無さが・・・」と何度となく言われたと落ち込んでいた。 「お母さんが、私を褒めてくれなっかたから。」そう言われた。 確かに娘に対して私は、「出来て当たり前」と思いながら育ててきた。 五体満足に生まれ、自分のことは、自分でやるのが当たり前・・・。 弟の面倒も娘に任せた。 そんな娘が、思春期になり、私に思い切り甘えて来たことがあった。 「お母さんは、弟ばかりかわいがって、私もお母さんと一緒に寝たかったのに!!!」 と泣いて訴えた。 私は、気づいてあげられていなかった。 娘の訴えを聞き、私が人に甘える経験が足りないから娘の気持ちがわかってやれないのでは・・・。と 自分の育ちを恨んだりもした。 人に甘えられることは、幸せだ。 そして甘えを受け止めてくれる人がそばにいることで、人は次のステップに進めるような気がする。 娘の話を聞き、働く若者の気持ちもわかるような気持ちになる。 もちろん、この綿ものを使ってくださっている上司の気持ちも・・・。 子どもを授かって28年。 親でいられる時間も大切にしたい。 そう思う、今日この頃です。 |
今日は、事業所の懇談会。
たくさんの方にご参加いただいた。 本当にありがたいことだと思う。 その反面、たくさんの方に来ていただくことで一人ひとりと向き合う時間が少なくなってしまっているように思う。 「丁寧に関わりたい」 そう思っているのに、なかなか思うように行かない。 もっと、たくさん話を聞きたい。 もっともっとゆっくり、向き合いたい。 なんだか、すべてが中途半端になってしまっているような気がしてならない。 気持ちばかりが、空回り・・・・。 たくさんの子どもたちの役に立ちたい。 でも、まだまだ・・・。 一日24時間では足りない。 子どもたちが、本当に心から落ち着いてその子らしくいられる場所になるために 仲間を増やしていかなければ・・・。 学び合う気持ちをもった仲間を。 |
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